2022年11月19日 西部緑地公園陸上競技場 ツエーゲン金沢-セレッソ大阪

来年の訪問を予定していたのですが、予定、天気、予算が合致するタイミングはそう無いの思ったので行ってきました。

シーズン終了後のトレーニングマッチという位置づけでしたが、相手がJ1のセレッソ大阪なので、なかなかの賑わいでした。

 

さて、前日夕食を抜いて、朝もR-1とバナナで良い感じに空腹状態にしてきたので(笑)、スタジアムグルメの時間です。

 

とろけるパイカの旨辛丼。豚肉の軟骨部分を使った丼物で、肉の上の黒い添え物はポテトサラダです。美味しく頂きました。

ポテトベーコンのピザ。焼きたてを美味しく頂きました。

能登牛の串焼き。A4ランクのいい肉です。いい肉は口の中で濃厚に溶けていきますね。美味しく頂きました。

のと豚丼能登豚とひゃくまん穀の組み合わせが最高でした。私が購入したのが最後の1食分でしたので、運がいいなあ~と思いながら美味しく頂きました。

 

メインスタンドの左側から観戦、思ったより角度があって見易い座席でした。

試合前のマスコットのゲンゾーとライバルのヤサガラスの寸劇。ヤサガラス氏はJ1でも自らの知名度を高めたいそうです(笑)。川崎フロンターレと対戦する際には、この様なネタが大好きなクラブのスタッフが上手く料理しますので、是非とも等々力に来て欲しいですね。

試合は5-1とセレッソ大阪の快勝でした。ツエーゲン金沢セレッソ大阪のプレー強度に慣れる前にゴールを積み重ねられたのが大きかったです。元日本代表の清武弘嗣が格の違いを見せつけました。1~2点目は共に清武がアシスト(2本ともゴールを決めた加藤に、ボールを受けた後の動きまで伝えるようなメッセージ性の強い極上のパスでした)、3点目はハーフウェーライン近辺から、キーパーが前方にポジションを取った所を頭上を抜いてのゴール。この日は4-4-2の中央から精度の高い長短のパスで敵味方を動かしつつ、ゴールに直結する決定的なパスを何本も出していました。

 

年齢的に無理が効かなくなってきているので、4-4-2のサイドやセカンドトップよりも、中盤で相手と味方を動かしながら、機会を見てはフィニッシュワークに絡んでいくスタイルの方が今のチーム状況にマッチしているのかもしれません。彼以外にもセレッソ大阪には力のある選手が多くいますが、一番ピッチの中で違いを生み出せるのは清武です。中盤で躍動する姿を来シーズンは楽しみにしています。

 

この試合を見て思ったのは、別のカテゴリーの対戦相手と対戦する際は、いかに早い時間帯で強度の差を見せつけてゴールを奪う事の重要性でした。先週の入れ替え戦もそうですが、ロアッソ熊本も序盤20分に京都サンガの強度に慣れ、勝利こそなりませんでしたがあと一歩のところまで持ち込めました。相手が慣れる前に力の差を見せつける。特に天皇杯の早い段階で、よく苦戦する川崎市の某クラブはこの点を意識して、来期は早期敗退を繰り返さないで欲しいところです。

 

ツエーゲン金沢ですが、2024年から新しいスタジアムが稼働予定なので、西部緑地陸上競技場で過ごすシーズンは恐らく来シーズンが最後になると思われます。新スタジアムも楽しみなのですが、今回訪れてこのスタジアムも味があるなと感じたので、来シーズンはJ2の試合観戦でまた訪れたいと思いました。今から来シーズンの日程を気にしています。

 

ユニフォーム 862枚目 レノファ山口 2018年シーズン 1st用 半袖 小野瀬康介

2018年シーズンに使用された1st用ユニフォームです。8番は小野瀬康介選手が付けていました。このシーズンはシーズン途中までの在籍でしたが、25試合10ゴールとシーズン中盤までに圧倒的な成績を残しガンバ大阪へ移籍しました。

ナンバー以外のプリント類は全て昇華プリント仕様

ナンバーはラバー素材の2色1枚仕様。

当時、ガンバ大阪の監督だった宮本恒靖氏の強い要望で加入すると、すぐさま右サイドハーフウイングバックのポジションを勝ち取り、サイドからドリブルやクロスで数多くチャンスを演出、時には自ら中央のスペースに切り込んでゴールを数多く決めました。ここ数年、ガンバ大阪の不動のレギュラーと言える選手の一人でしたが、先日契約満了が発表されました。まだ29歳、外からでは見えないコンディション面の問題だったり、ガンバ大阪の財政的な問題での契約満了だと思いますが、現時点では不可解に感じました。

 

右サイドであれば、どのポジションで起用しても計算できるプレーを披露してくれるので、サイドプレーヤーが欲しいクラブ間で争奪戦になっても不思議ではありません。川崎フロンターレサポーターからの視点で見ると、彼が加入すれば家長と山根のポジションの層に厚みを持たせられる、3バックに移行した際にウイングバックのポジションを任せられる等、かなりメリットがあるように見えます。来シーズンはどのクラブでプレーするのか注目の選手です。

ユニフォーム 861枚目 エバートン 2003-2004シーズン 3rd用 半袖 ルーニー

2003-2004シーズンに使用された3rd用ユニフォームです。元イングランド代表で後にマンチェスターユナイテッドでも大活躍したウェイン・ルーニー選手のネームとナンバー入りです。

メーカーロゴはフロッキー圧着

クラブエンブレムはワッペン圧着。エンブレムもグレーとネイビーなので、ユニフォーム全体に落ち着いた統一感を出しています。

スポンサーロゴはフロッキー圧着。今でこそ中国企業のスポンサーロゴは珍しくないですが、当時は少なかったので印象に残りました。

裾にはクラブ創設125周年を記念するラバープリント入り。この部分がまた劣化し易いので保管が大変です。

サイズ表記はラバー圧着

生産国はルーマニア

ネーム&ナンバーはフロッキー素材圧着。

前年に当時のプレミアリーグ最年少ゴール記録を記録し、更なる飛躍を期待されて迎えたシーズンでしたが、コンスタントにスタメンで出場を続け、リーグ戦は9ゴールを記録し期待に応えました。

 

このシーズンの活躍が評価され、シーズン終了後に19歳としては破格の移籍金(2,560万ポンド、当時のレートで約51億円)でマンチェスターユナイテッドに移籍、その後はプレミアリーグFAカップチャンピオンズリーグクラブワールドカップ...数多くのタイトルを獲得に大きく貢献し、在籍13シーズンでリーグ戦のみで183ゴール。得点王に輝いたシーズンこそありませんでしたが、毎シーズン安定してゴールを決め続けました。

 

エバートンのユニフォームはホーム用がブルー、アウェイ用が白で、3rd用はあまり着用機会がありませんが、それだけに貴重な1枚だと思います。

 

ユニフォーム 860枚目 ロアッソ熊本 2009-2010年シーズン 2nd用 長袖 藤田俊哉 選手支給品

2009-2010年シーズンに使用された2nd用ユニフォームです。元日本代表でジュビロ磐田で数々のタイトルを手にした名選手、藤田俊哉選手に支給された物となります。長袖ユニフォームの市販はございませんでした。

メーカーロゴ、スポンサーロゴ、クラブエンブレムは全てラバー圧着。胸スポンサーロゴは当時としては珍しく、今でもなかなか見ない1st用と2nd用でスポンサー企業の別製品のロゴが提示される形でした。似たような形では、2013~2017年の川崎フロンターレも同じ形式を取っていました(1stは社名であるFUJITSU、2ndは製品のArrows)。2nd用の誉の陣太鼓も1st用の武者がえし熊本県を代表する銘菓ですね。

 

同時期にプーマとサプライヤー契約を結んでいた清水エスパルスジュビロ磐田大分トリニータモンテディオ山形とは異なり、支給品品番の頭にクラブ名の略称のアルファベットが入らない形でした。

 

現役終盤(37~39歳)時、2シーズンの在籍時期はコンスタントにスタメンでプレー。キャリア初のJ2での舞台で、得点こそ少なかったですが、高いボールスキルと戦術眼で多くのチャンスを演出し、J2昇格初年度のチームで確かな違いを示しました。

 

明日はアウェイ京都で、クラブ史上初のJ1昇格を賭けた大一番です。レギュレーション上、勝利以外にJ1昇格の道は開けません。ここまでのプレーオフは2試合ともに引き分けで勝ち上がってきました。京都サンガがJ1で培ってきた攻守の強度への対応が勝敗を分けると思います。どんな結果で終わるのか...注目の大一番ですね。

 

ユニフォーム 859枚目 セルティック 2006-2007シーズン ホーム用 半袖 中村俊輔 スコティッシュカップ決勝戦仕様

2006-2007シーズンに使用されたホーム用ユニフォームです。元日本代表の中村俊輔選手のネームとナンバー入りとなります。2007-2008シーズンのホーム用ユニフォームですが、当時はシーズン後半に翌シーズンのユニフォームをプロモーション目的で着用していた為、2006-2007シーズンの物としております。胸にマッチデイプリント、袖にカップ戦用のパッチが圧着されたスコティッシュカップ勝戦仕様です。

マッチデイプリントはラバー圧着

袖のパッチはラバー圧着。リーグ戦用よりサイズが大きく色も鮮やかな黄色なので映えます。

メーカーロゴは刺しゅう

クラブエンブレムはワッペン縫い付け

スポンサーロゴはフロッキー圧着。このスポンサーロゴですが耐久性が低く、現在ではひび割れが生じていたり、剥がれてしまっている物が多いです。状態が良い物を見つけた時は買いだと思います。

首裏側のプリントもラバー圧着

 

今シーズンをもって現役引退が発表された中村俊輔選手、本日アウェイで行われたロアッソ熊本戦は先発で出場、ゴールやアシストはありませんでしたが、正確なサイドチェンジや体を張ったディフェンスで見せ場を作ってくれました。現役最後の試合でしたが、いつも通りプレーする姿が印象に残りました。試合は点の取り合いとなりましたが、横浜FCが逆転で勝利。いつも通り勝利に向けてプレーし、勝ち点3を勝ち取る。最後もいつも通りに終わるのは、ある意味一番美しい終わり方なのかもしれません。

 

シーズンも終わり、これから今後について語られるとは思いますが、個人的には盛大なセレモニーを開催して欲しい。偉大な選手は多くの人々に見守られながら、自分の言葉で語りキャリアを終える。そうあって欲しいです。

 

あともう一つ、これは難しいのは承知なのですが、彼が愛した日本代表のユニフォームともお別れする機会を作って欲しい。代表キャリアの最後の試合は南アフリカワールドカップのオランダ戦でしたが、途中出場で不完全燃焼で終わってしまった試合でした。ロベルト・バッジョデヤン・スタンコビッチの様に少しでいいので代表の舞台でお別れする機会を設けられないものか...そんな事を考えてしまいます。

ユニフォーム 858枚目 サンフレッチェ広島 1995年シーズン 1st用 半袖 選手支給品

1995年シーズンに使用された1st用ユニフォームです。当時は固定番号制では無かった為、スタメンの11人が1~11番を着用。それ以降の番号はベンチメンバーの選手が着用していました。15番なのでベンチメンバーの選手の物と思われます。

メーカーロゴが2つあるのが特徴、上はラバー圧着。下はワッペン圧着

メーカーロゴはラバー圧着

チームエンブレムでは無く、袖にクラブ名のロゴが入ったワッペンが縫い付けれれています。Jリーグパッチとワールドカップ招致パッチmぽワッペン縫い付け。

当時、2002年のワールドカップ招致に向けて各クラブのユニフォームの袖に取り付けられていたパッチです。数種類仕様がありクラブやメーカーによって異なっておりました。サンフレッチェ広島の物は台座がクラブカラーの紫色なのも特徴です。

当時の支給品の最大の特徴はこのタグ部分です。別途5桁の管理番号がプリントされていました。

 

本日、ルヴァンカップを制しクラブ史上初のカップ戦タイトルを獲得しました。Jリーグ発足後、このユニフォームが使用されたシーズンである1995年の天皇杯から先日の天皇杯までカップ戦決勝で勝てない歴史が続きましたが、ついにその歴史に終止符を打ちました。おめでとうございます。

 

先週の天皇杯勝戦に続いて劇的な展開の試合でした。バックパスを奪われての失点で緊張の糸が切れてもおかしくは無い状況でしたが、その後にセレッソ大阪がミスから崩れていった結果を見ると、そこから崩れずに耐えられた事が大きかったと思います。先週の天皇杯勝戦の苦しい展開が生きたのではないでしょうか。

 

2022年シーズンは戦前は目立った補強も無く現状維持の側面が強かった為、下馬評は高くありませんでしたが、リーグ戦は2試合残して3位、ルヴァンカップは優勝、天皇杯は準優勝と下馬評を大きく覆す結果を残しました。チームのベースも固まり来期以降も非常に期待できる状況だと思います。2023年も楽しみなチームですね。

 

 

 

 

ユニフォーム 857枚目 ヴァンフォーレ甲府 2006年シーズン 1st用 半袖 山本英臣 選手実使用品

2006年シーズンに使用された1st用ユニフォームです。山本英臣選手がシーズン通して着用していた物となります。クラブ史上初のJ1での挑戦となったシーズン、下馬評では圧倒的に降格の声が大きかったですが、それを覆し見事残留を達成しました。

メーカーロゴ、エンブレム、スポンサーロゴは全て昇華プリント仕様。支給品はナンバーも昇華プリント仕様となります。軽いし何より劣化が無いです。刺しゅうやワッペンと違って重みは欠けますが、保管に気を使わなくていいという意味では最高です。

この当時のポジションは左サイドバック、年齢を重ねポジションをセンターバック、時にセンターハーフでプレー。どのポジションでプレーしても正確なキックとコーチングは変わりませんでした。42歳を迎えた現在でも変わりないですね。

 

今日の天皇杯勝戦、延長戦後半に途中出場した直後のバンドでPKを与えてしまった場面では、サッカーの神様は偉大な甲府バンディエラになんて非常な仕打ちをするのかと思いましたが、終わってみれば極上の演出になりました。PK戦、決めればクラブ史上初のタイトルの場面でPKを決める。ドラマの脚本でも考えられない最高の結末となり、20シーズンの間、ヴァンフォーレ甲府のユニフォームを纏ってピッチに立ち続けてきた闘将が表彰台でトロフィーを掲げる姿はどんな表現も物足りなくなってしまう美しい瞬間でした。

 

天皇杯優勝で来シーズンのACL(アジアチャンピオンズリーグ)出場権を獲得しました。40代にして初めて立つアジアの舞台でのプレーを楽しみにしています。