2019年シーズンに使用された1st用ユニフォームです。前身の鳥取SC時代の2003年からサプライヤー契約を締結していたヒュンメルからプーマに切り替わった最初のシーズンのユニフォームとなりました。
メーカーロゴ、クラブエンブレム、胸と背中、裾、鎖骨スポンサーロゴはラバー圧着。
袖は共にワッペン縫い付け
このシーズンの京都サンガやロアッソ熊本も同様なのですが、市販のチームオーダーと同じ生産ライン扱いとなります。なので数字ではなく「TRIBES」の表記となります。
ガイナーレ鳥取ですが、本日2014年~2016年、2018年から現在まで長くクラブに貢献したフェルナンジーニョ選手の今シーズン限りでの引退が発表されました。
フェルナンジーニョ選手で思い出すのが、2007年~2010年の間、毎シーズン所属クラブを変えながらも(清水エスパルス、京都サンガ、大分トリニータ、ベガルタ仙台)川崎フロンターレ戦では欠かさずゴールを奪っていた事です。ユニフォームの色が違っても毎シーズン情け容赦なくゴールを決める川崎フロンターレキラーでした。
特に印象深いのは、2009年の大分トリニータ在籍時に九州石油ドーム(現大銀ドーム)で決められたゴールです。
残り3試合、首位で九州石油ドームに乗り込みましたが、J2降格が決まっていた大分トリニータの意地に屈し、首位陥落。初のリーグ優勝を逃した決定的な試合となりました。この試合でも初タイトルを前に立ちはだかったのはフェルナンジーニョ選手でした。この時ほど彼の存在を恨めしく思った事はありません。
現在ガイナーレ鳥取は、J2昇格圏内の2位と勝ち点差8の7位です。残り12試合なので、まだまだ昇格の可能性を残しています。川崎フロンターレに在籍していた可児選手や谷尾選手が在籍しているので気になっています。現役最後のシーズンを昇格で締めくくれれば良いですね。
余談
先に書いた大分トリニータ戦、フェルナンジーニョ選手にアシストしたのが、彼と同じくユニフォームの色を変えても川崎フロンターレを苦し続ける強敵である金崎夢生選手。そしてボランチのポジションから巧みなゲームメイクで、個人的にこの試合で一番苦しめられ、この選手さえ出場しなければと思った選手がいます。
その名は家長昭博。今では誰にも止めれない家長昭博です。この試合の8年後、川崎フロンターレの一員として、初のリーグ優勝に大きく貢献しました。巡り合わせとは面白いものです。