ユニフォーム 873枚目 横浜フリューゲルス 1995年シーズン 1st用 アジアカップウィナーズカップ仕様 長袖 服部浩紀 選手支給品

あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。2022年は更新数がかなり落ちてしまったので、2023年はせめて2022年よりかは更新したいと思っています。今年も為にならない、コスパが良くない、あんまり役に立たない事を書けるようを心掛けます(笑)。

 

本日は、横浜FCの新たなサプライヤーがプーマ社と発表されたので、前身(色々解釈がある事はさておいて)の横浜フリューゲルスのプーマ製のユニフォームとなります。

 

1995年シーズンに使用された1st用ユニフォームです。服部浩紀選手に支給された物となります。スポンサーロゴが胸のみで背中にネームが入ったアジアカップウィナーズ仕様です。当時は天皇杯を制覇したクラブがJリーグ代表して参戦し、各国のカップ戦王者と対戦しアジアナンバーワンのカップウィナーを競った大会でした。

プリント関連は全てラバー圧着。当時Jリーグの試合では、リーグがミズノ社とユニフォームについては一括契約をしており、ミズノ製のユニフォームを着用する事が義務付けられていた為、プーマ製のユニフォームは天皇杯ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)等カップ戦用として使用され、その流れでアジアの大会でもカップ戦のユニフォームが使用されました。

アジアの大会なのですが、Jリーグから参戦したクラブの多くはJリーグパッチを付けたユニフォームを着用していました。Jリーグを代表して参戦している証なのでしょうか?現在であればまず許可されないですね(笑)。大らかな時代でした。

服部選手、前線からの強烈なプレッシングと高さと強さを生かしての競り合いの強さが武器の選手で、得点力はそこまで高くありませんでしたが、前線での献身的な動きでチームに貢献していました。鹿島アントラーズで活躍した鈴木隆行選手やアルビレックス新潟で活躍し、現在も栃木SCで健在ぶりを示している矢野貴章選手のような、相手陣内でのハードワーカー系の先駆けと言っていいと思います。

 

この手のスタイルの選手ですが、ゴールやアシストはそこまで多くないので、外からは点が取れないと叩かれる事が多いのですが、苦し紛れに蹴っ飛ばしたロングボールを競り合ってマイボールにしたり、相手DFを追い回してビルドアップを阻害したり等、いないと非常に困るタイプの選手です。みなさん大切にしてあげましょう。

 

話が逸れましたが、横浜FCの新たなユニフォームですが、川崎フロンターレ清水エスパルスセレッソ大阪の様なオリジナルデザインになるのか、それともチームオーダータイプのメーカーテンプレートモデルになるのか注目しております。来年以降、フリューゲルス時代を彷彿させるデザインのユニフォームが作られる事を勝手に期待しています。