ユニフォーム 818枚目 フランクフルト 1998-1999シーズン ホーム用 半袖

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1998-1999シーズンに使用されたホーム用ユニフォームです。クラブ史上初のブンデスリーガ2部への降格となった1995-1996シーズン以来の1部復帰となったシーズン、15位とギリギリでしたが1部残留という最大の目標を達成しました。

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メーカーロゴは発泡素材圧着

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チームエンブレムはワッペン縫い付け

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スポンサーロゴはフロッキー圧着

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袖のメーカーロゴも発泡素材圧着。

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フランクフルトですが、日本人選手だと長谷部誠選手を筆頭に鎌田大地選手や乾貴士選手。韓国人選手だとチャボムグン氏とチャドゥリ氏の親子と東アジアの選手と縁の深いクラブですが、この1998-1999シーズンも中国代表のストライカー、ヤンチェン氏が在籍、ブンデスリーガ初の中国人選手としてデビューすると、8ゴールを決めチームの1部残留に大きく貢献しました。

 

2000年のアジアカップの準決勝で日本代表と対戦した際もゴールを決め、当時アジア系の選手では数少なかったヨーロッパの第一線で活躍している選手の実力を見せました。決勝を目指す日本代表に立ちはだかった好選手という印象が残っています。

 

1998-1999シーズンと言えば、中田英寿氏がペルージャで大活躍し、日本でも大きな話題となっていました。ヤンチェン氏のブンデスリーガ初年度で8ゴールというのも、当時の背景を考えればインパクトのある結果だと思います。差があるのすれば、当時世界最高リーグだったセリエA(今では嘘みたいな話ですが、この時期のセリエAは競争力が高く、現在のプレミアリーグに劣らぬ華やかなリーグでした)とブンデスリーガという点でしょうか。どちらにせよ、東アジアの選手がヨーロッパでプレーする事自体が珍しい時代に残した素晴らしい成績である事には変わりありません。そんな時代を感じられるユニフォームですね。